エッセイ【Baby Step】Essay
TOKYO2020
2021年8月16日
見えた?
う~~ん、雲があって・・・
2階の部屋でベッドに寝転んでテレビを見ていると、窓のむこう、一軒先のお宅の3階屋上に人影が見えた。それも、5,6名。
ベランダに出てみると、その横のお宅の2階屋上にも、スマホ片手の家族が総出で同じ方向を振り仰いでいる。
あ、そっか。ブルーインパルスだ!
そういえば、もうすぐ五輪マークを描く時刻がアナウンスされるよと、lineが入っていたっけ。
教えてくれたのは、オリンピックに大反対、期間中は東京脱出する友達。
いろいろ腹が立つし、なんだかなぁなことばかりだけど、ブルーインパルスは見たいんだ、とか(へへ)
轟音は響いた。
新国立競技場のある新宿方面からは、もくもく白い雲が湧き出していて、青空がかげりだしている。
「見える~~?」
ベランダと屋上の差は大きく、私の視線はご近所の屋上に阻まれて、新宿方向などのぞめない。
「見えた~~?」
「だめだね~~」
あらま。残念!
あ、けど、頭上に白い帯状の線がもや~~~と崩れてるぞ。それも数本。
機体は雲に隠れて見えなかったけれど、あれは確かにそうだよ!
「色、みえないね」
「だね」
見えなかったが、なんとなく去りがたくて空を眺めていると、やがてきれいな編隊を組んだ鳥が・・・。
ん?!ブルーインパルスだあぁぁぁ!!
任務を終えた一行が入間基地にもどっていくところだった!!
わぁ、お疲れ~!!
そんなふうに始まったわたしの“2020オリンピック!”
わぁ、また金メダルだぁ。すごいね、上野。やったね、阿部兄妹。水谷ぃぃ~~!!
なんて、毎日くるくるテレビでハイライトだのニュースだの見ているうちに、気づいたら、もう札幌マラソンで、北大のポプラ並木が映ってた。
あっという間のオリンピック。
やっぱ、テレビ観戦だけじゃ、実感ないですね。
オリンピックがまた東京に!!
お・も・て・な・しポーズが一気に広まった時、周りでは私と同じ年頃のおっさんたちが、次々自慢したもんだった。
”オレの中学は、バスケットチームの練習場だった“
と下町の早稲田中学出身者がいえば、
“ぼく、鼓笛隊で国立競技場の行進に参加したよ”
なんて、都心のお坊ちゃまが返したりして。
へぇ、本当にオリンピックって身近だったんだね、と、北海道は釧路の小学校で,自習させられてた私は、ずいぶん違うもんだなぁと50年以上前のことなのに嬉々とした顔で語る友人たちを眺めたものだった。
あ、なぜ自習だったかといえば、先生たちは気になる試合をこっそり職員室で見ていたからぁ~~~~~!!(チコちゃん風)
学級委員だった私はたまたま何かの用で一人職員室におもむき、テレビの前にたまっている先生たちの姿を目撃したのだった~~~!!
今なら,問題になるかもしれないけど、当時はね、別になんてことなかった。
先生も人の子ってだけ。
あ~~~っ、先生たちだけ、ずる~~~い!!
の一言でかたがついた。
今回、表敬訪問した選手の金メダルかじったり、しゃちほこの金にかぶりついたり非難号号のどこぞの市長さんは、お気の毒。
昔だったら、ご愛敬、ですんだのにね・・・・。
いい旦那さんでも見つけて‥‥なんてのも、セクハラになってしまうしね、今や。
それって、ちょっとキュークツ、そんなメクジラたてなくても・・・って思う私は、やはり旧石器時代人かな?
仕事先で、新人の男子がお茶をいれてくれたりすると、あららとちょこっと申し訳ない気がしてたのは、いつのことか。
今はもう、おぉけっこうけっこう♡どころか男女関係なく、来客にお茶を出してくれるのは当たり前の後景になったけど。
あ、実はそれもコロナ禍で、様変わりしたんだった。
そもそも来客に誰かがお茶を淹れてだすという行為というか儀式?はなくなったし、そもそも、仕事先のオフィスへ出向くという行為もなくなった!
リモート&ネット、メール、オンラインですべては事たり、不要不急の訪問は一切なし。
っでもね、でもね。
顔を合わせて、直接表情見たり、間とか空気とか、声の調子とかで感じる、伝わるものって、意外と多いんだよ。
ってか、、言葉以外から伝わるもののほうに、本音とか、真実とかがあったりする気もするんだなぁ。
ってか、、したんだなぁ。
その昔、出版社はどこも、出入り自由だった。
受付はあるけれど、訪ねる部署と自分の名前をいえば、そのままスルー。
エレベーターに乗って、目指す編集部の札のさがってるとこへ、「こんちわぁ~」と入っていけばよかった。
山積みの書類、今にも崩れそうなスクラップ、たばこの煙、ごちゃごちゃの机、その一角に島みたいに置かれた応接セット。
近所の喫茶店から運ばれてくる出前のコーヒーやジュース。
ウエイトレスやウエイタ-たちにいたっては、受付
で行先を告げることもなかった気がする。
私の行っていた編集部のとなりには、当時の女子高生に大人気の『セブンティーン』があって、ブレイク直前のお笑いタレントやモデルたちがマネージャーと挨拶にきていたりした。
はやりものの新しさとにぎやかさ、華やかさ、そこにちょっと自堕落な空気と、わずかな真剣さや徹夜明けのけだるさとかがまざりあって、何ともいえないカオスが、そこにはあった。
ちょっと通りかかったからというだけで、編集部を訪ねてた時代から、訪問者は受付で記入しカードを首からぶらさげて・・・って時をへて、一階に応接室がずらり並び、降りてきた担当者とその個室でうちあせ・・・ってスタイルに、いつの間にかなってしまった。
担当者以外の編集者とどうでもいい会話交わしたり、たいして知らない人にちょこっと頭下げたり、ほかの打ち合わせ中の人の話を小耳にはさんだり。
そんななんでもないことが、実はけっこう楽しかったり、その雑誌への愛着を生んだりしてたのかも・・・ってことは、あとで気づいた・・・・。
袖すりあうも他生の縁。
いや、多少の縁。
コロナ禍で、友人や仕事先やボランティアで会っていた様々な人たちと、会わなくなってほぼ2年。
今、同じことを感じてる。
いっけんどうでもいい人たちとのどうでもいい会話。
なんてことのない立ち話。通りすがりの一言二言。挨拶。天気がどうたらこうたら。
そんなささやかなことどもが、実はわたしの暮らしや心模様をあんがい明るくいろどっていてくれてたんだなぁぁ~~と。
そういえば、
”よっ友“
っていうのが、あるんですってね。今の若い子たちの間で。
学校とかですれ違えば“よっ”と軽く挨拶するていどの知り合い。
友達っていうほどじゃない間柄。
テレビじゃさほど肯定的な感じで紹介はしてなかったけど。
いや、そのていどの顔見知りとの、ちょっとした笑顔とか挨拶も、意外とね、降りつもると、くるよ・・・・。
年賀状なんて無駄だ!!
よく論争になるけれど。
何十年も出していない私が言うのはなんだけど。
年賀状って、このどうでもいいすれ違いざまの挨拶やたわいない二言三言と、似てるかも。
いっけん重要じゃない。義理かもしれない単なる惰性もしれない。
でも、ふりつもると、なんだか大切なもんがそこにはあるような・・・。
オリンピック閉会式は、うたたねしてしまって、とびとびにしか見ていない。
でも、終わったのは,確からしい。
一番記憶に残ってる私の2020トウキョウの光景は初日。
ご近所さんたちが屋上からブルーインパルスを一目みようと同じ空を眺めていた姿かも。
新海誠監督のアニメの一シーンみたいで。
青い空。
コロナの影もつかのま脇に置いといて、空の青さになにがしかの喜びとか希望のようなものが見えたような気がした時。
オリンピックは、やはり明るさとか晴れやかさとともにあってくれねば。
友人は、開会式のあと、大役を終えたドローンたちが神宮球場に帰っていく姿に、ちょっとじ~~ンとしたとか。
それぞれのオリンピックがあったろうけれど、はて、あなたの2020TOKYOはいかがでした?
願わくば、それがふりかえったとき、ほこらしく愛おしいものでありますよう。
オリンピックの陰で、ちゃんと打って走って投げてた大谷くんや将棋の藤井くんの活躍にも祝杯をあげつつ
それでは、また
See you!!!!