エッセイ【Baby Step】Essay
ゴーゴー、ヘノカッパ
2020年5月25日
おひさしぶりです。大谷翔平くんをまねてみました‥‥って、前にも確か同じこと言った気がしますが、ほんっっっと、ごぶさたしてました・・・。
皆さん、おかわりありませんか?お元気ですか?
って、元気なわけないですか・・・コロナコ騒ぎで自粛自粛のオンパレードですもんね。
いづこも大変でしょうが、東京はことのほかすごい気が。
なぜかやたらヘリコプターが上空を旋回してるし、パトカーや自転車のおまわりさんが走り回ってるわ。防災無線は四六時中やけにのったりした口調で“ 急な 外出は さけましょう ”と繰り返してて、なんだかSF映画みたい。
ご近所の山ぐるみの大木は若葉をきらめかせて、道路向こうの家のちょっとギザのピラミッドを思わせる屋根のラインを覆いそうなほどで、私の部屋のカーテンは春風にふうわり揺れて。
おだやかで優しい時間が流れているように思えるのに・・・。
なのに、東京は緊急事態宣言下にあって、世界中コロナの猛威が吹き荒れているなんて。本当に不思議。
命を奪いかねないウィルスってやつが、直接、眼に見えないからなのかなぁ。
もし、銃弾が飛びかっているのが見えれば、実感あるなんてもんじゃなくて、だれも外に出ようとはしないだろうに。
見えない敵の恐ろしさは、そんな単純なところにもあるのやも。
とりわけ、どんなニュースを見ても一秒で忘れてしまううちの母なんかは、「ねぇ,何かおいしいもの食べにいきましょうよ」とくりかえし、玄関で「ねぇ、まあだぁ??」とじれている。
いい加減説明するのにも疲れて、結局、私も母を連れ、でかけてしまうんだなぁ。
目白の駅前にちょっとこじゃれた店があって、ちょうど12時についたのだけど、その時点でお客は私たち二人だけ。
「こんな誰もいなくて、やってけんのかしらね?」
何もわからない母でも、声を潜めて案じるほど。
「これじゃ、お店の人のほうが多いね」
確かに。スタッフはキッチン、ホール合わせて4人。
それでも、八分づき玄米に有機野菜の素揚げ生姜ソースなんて健康にもよさそうな食事に満足して店を出るころには、ほかに3人のお客さんが。
みんなそこそこ高齢者?
「毎日こんな?」「はい。なんで、お店はあさってで一時休止です」「あらまぁ」
と、レジでそんな会話を交わしたのが、ゴールデンウイークに入る直前のこと。
連休初日の今日は、お隣りの子供の泣く声がするくらいで、いたって静かであります。
ちなみに、うちの甥っこは研修医で、ただいまなんと呼吸器内科に配属中。コロナ患者がくるので、防護服を着て対応にあたったりもしているのだとか。ひゃぁん。
連絡はとってないけど、ニュースで院内感染や医療崩壊、マスク一週間使いまわし!とか聞くと、不安になります。
弟も、職場のはいるビルの上の階から陽性患者が出たものの、オフィスの閉鎖どころかエレベーターの消毒すらないとか!で、いいのかぁ??、それにしても、コロナは本当にもうすぐそこまで来ているんですね。
自転車で10分ちょいのとこまで、だぁぁぁ。
消毒していないといえば・・・!!
その昔、わたしはしょう紅熱にかかったことがある。
小学校4年かそこら辺のころ。
ものすごい高熱がでて、ふうふうしているわたしの枕もとで、往診に来たお医者さんが母と小声で話してた。
「しょう紅熱だと法定伝染病ってことになるんで、保健所に報告して学校から何からみんな消毒しなきゃいけないんでおおごとになるから、ここはとりあえず疑似しょう紅熱ってことでいいですかね」
え~~~っ!!?
熱にうかされながらも、子供心にいいのかぁ???とぼんやり思ったこと、覚えてます。
「いい時代だよね。ってか、“昭和”って感じだよねぇ。今ならそんなのゆるされないでしょ?」
私がそういうと、母はにやり。
「いいんですよ。臨機応変で。何もばかまじめにそんなことすることないの」
自分の年がいくつか、今が春か夏かさえわからないのに、こういうときだけは妙にしっかり答えるから、認知症っていうのも、不思議なもんですね。
友人たちから、ときどき、元気?コロナは大丈夫??とかメイルやLNEが入るけれど、私の返事は決まってる。
「毎日毎日”お母さんと一緒“!のほうが全然大変だよぉぉぉ」
“お父さんはどこへ行った”?死んだといっても、“いつ帰ってくるの?”と説明してるはしから繰りかえし、私がつい邪険にすると、ここはお母さんの家じゃありません、帰ります!と出ていこうとするっていうのが、なんせルーティンなもんですから。
いやさ、本当はもちろん、生命の危機にかかわるコロナのほうが断然たいへんなんですけれどもがさ。
ところで。
大きなカタストロフィ(災禍)の後には、必ずや変化が現れるんだそうですね。
デカメロンといえば、少年隊と世界史で名前だけ覚えたイタリアの古典だけど。
あれって、中世にペストが猛威をふるい、バタバタと人が死んでいく中で、神は本当にいるのか??と疑問を抱く人が続出、どうせ死ぬなら好きなことをと、聖職者たちがガンガン性交にはしる姿を描いた作品だったんですってね。
私は学生時代、名画座でパゾリーニという問題作ばっか撮ってる監督の映画でみて、ありゃありゃなんんちゅう酒池肉林・エログロの極み~~~っ、あっけにとられてるだけだったけど。
実は、そんな深い背景があったんですね。
そうして、すべてを神が支配する中世から、人間賛歌を高らかにうたうルネッサンスが誕生したんだそう。
あらら、そんなたいしたもんだったとは、すんまそん、デカメロン。
そら、教科書でわざわざとりあげるんだから、ただのエロなはずはないわさね。もちっとお勉強しときゃよかったですね。ハイ。
はて、今回のコロナのあとには、いかなる未来がひろがるのか。
ルネサンスには遠く及ばずとも、なんかちょこっとでも人と人がもっとくつろいで気持ちよく暮らせる日々が来るといいですね。
インドじゃ経済活動が低下したおかげで、町中からヒマラヤがみえるようになったとか。
ヴェネツィアじゃぁ、水上バスやゴンドラが激減したおかげで濁ってた運河が澄んで水底がみえるようになったんですって!!
なあぁんだ、地球を汚してるのはわしら人間様なんじゃん。
いや、わかってはいたけれどもさ。
人影が消えた南米チリの街角では、野生のピューマがひょっこり現れたとか。
アルゼンチンじゃ道路のまんなかにアシカの群れが寝そべり、渋谷じゃネズミの大群が・・・。
エトセトラ etc。珍しく地球と人類の未来に思いを馳せようとしていると、ピンポンピンポ~~~ン
”あんたぁ、なんかおいしいもの食べに行きましょうよ“
と、またもや階下から母の呼ぶ声が。あぁあ。
なにを言っても聞いてやしない。かつ、1秒で忘れる母は、コロナなんぞ ヘノカッパ。
“いいから、早くしてよっ。でかけますよ!お母さん、一人じゃ歩けないんだから、早くぅ”
どこまでも強気。あくまでも上から目線。
“我が家には奥様とお嬢様、ばあやとねえやがいる。
あわせて二人だけど“
そんなふうに笑いあっていた日から幾星霜。
いまや、我が家はゴーイングマイウエイの大奥様とちょいくたびれた姉やの二人ぐらしであります。あぁ、お嬢様はいずこへ。
さぁ、気をとりなおして,少し散歩でもしてくるとしましょうか。
マスクして手袋して、大きく腕をふって。しりとりでもしながら。
次にこのコラムで会える時には、コロナ騒ぎが少しは収まっていますように。
雲一つない青空のもと、小さな庭にわずか数株のスズランが咲きだした我が家より、北の大地へ。
久方ぶりのご挨拶と祈りをこめて。
元気でいましょうネ。では、また!