エッセイ【Baby Step】Essay
春を待つ庭
2022年11月29日
チューリップの球根を植えた。
あったかい陽ざしのなか、腰をかがめてせっせと作業をしていると、汗ばむほど。
立ちあがって背をそらすと、おだやかな青空が広がってる。
汚れたれ軍手に小さなシャベルを持ったまま深呼吸しながら、
膝腰がビミョーに“くの字”になってる自分に気づく。
あぁ、これってもうじいさんばあさんのポーズじゃぁぁん、トホホ・・・。
思えば球根植えるなんて幼稚園のころ以来だから、何年ぶりだ?
・・・・うっそぉ、もしや5,5,50年以上・・・??
いやはや,半世紀がすぎてるって、冗談はよしこさん・・・。
トホホのタハハですワ。
一坪ほどのわたしの庭は、ここへきて一気に緑が増えてる。
雪で折れたり虫に食い荒らされてダメになってしまった沈丁花や木槿も、
新しく苗から植えなおしたのがすっかりのびて、その下には鈴蘭や時計草が。
イロハモミジはまだ葉先が赤いだけだけど、
鉢植えのヤマザクラはもう葉を落としてただのひょろりとした細い棒みたいになってる。
玄関に置いたらダメだよ、運気が落ちるよと、芽がでた矢先にご近所さんから指導がはいり
裏手に移動させた藤は、巻きつく先を求めてつるをゆらしてる。
去年、ともだちの孫の内祝いにもらったゴールドクレストは倍くらいの丈になって、
わがやのウエルカムツリーに。
お孫ちゃんももうしゃべるようになったかなぁ。
よその子はあっという間に大きくなるもんなあ。
などと思いを馳せる。
このコロナ禍の2,3年、友だちでも直接会うことはほぼなくなってしまった。
それどころか、今は身内にも会えない。
今年の1月、転倒して大腿骨と手首を骨折した母は、救急搬送されたものの、
手術まで2週間以上待たされた(-_-)
そもそも救急車が来てから、病院が決まるまでえんえん断られ、
やっと決まったところもなんと3万円の個室しか空いてないがそれでもいいか?
との条件付きだったそう。
一緒に散歩中だった弟は、否応なくOK。
いざ、入ってみたら、なんと実は一泊3万7千円で、泣いた!!というのは、またべつのお話。
といいたいとこだけど、いやいやアナタ、あせりますよ。
そんなとこに一か月もいられた日には、こっちが死んじゃう。
と思ったら、さすがに数日で移してくれたけれど。
その高級個室!がどんなものだったか知るよしもないが、
病院はリニューアルされてまもないピッカピカの高層で、隣はなんとあのヒルトンホテル!!
そりゃぁ、大新宿のパノラマも見事でしょうよ。
せいぜい堪能してよ、お母さん・・・。
で、ワクチンの接種証明を毎回見せて検温と消毒のうえ、やっと上がれる病棟も、
大きな全面ガラス張りのドアのむこうは立ち入り禁止。
エレベータホールのインターフォンから、
看護師さんに連絡してタオルやらパジャマやらもろもろの受け渡しをするさい、
様子をきくのが精いっぱい。
ときどきスマホを渡すと、動画を撮ってくれる看護師さんがいて、
母が照れてもういいわよぉと笑ったり、
手術前なのに骨折した腕で手をふったりする姿に、
安堵したりした。
結局、面会は手術の当日だけ。
といっても、手術室から元の病室に戻るまでの数秒間、エレベータの前で見守るだけという徹底ぶり。
手術前には会って頑張っての一言もかけたいどこだけれど、万が一感染でもしたらと、アウト。
手術中、前の廊下で待つことも禁止。
家族はただ予定終了時刻に、病棟前に来ればいい。
まぁね、あの手術室前のシンとした硬い椅子でひたすら無事を祈りながら待つしかない緊張感を味わわないですむのだけは、ありがたいともいえるけれど。
ともあれ、そうして出てきた母はストレッチャーの上、酸素マスクやら管をつけ、
まだ麻酔も覚めておらず、ただわたしの目の前を通りすぎていく。
おかぁさん!と思わず近よりかけると、看護師がすっと手で制した。
なんだかね・・・。
だが、2か月近い入院中、何度か、看護師さんが車椅子の母を押して、
わざとガラス戸のむこうを通りかかり、ときにはドアをあけ、
おかぁさん! あら、あんた、どうしたの?! と、
声をかけあうことができるようにしてくれたりもした。
手術は成功したけれど、認知症で自分が骨折したことも覚えていない母は、
車いすのまま、転院することになった。
母がそうだったように、入院を待っている人が大勢いるのだった。
ニュースでは搬送困難事例と言って、救急車が来ても5時間以上病院が見つからないケースだとか、
医療ひっ迫が日々伝えられていた。
いやぁ、大変な時代になったもんだ。
母はまだ、ラッキーなほうだったのね。
2か月ぶりにあった母は、そこそこごきげんで、見送りの看護師さんに手を振った。
転院先のリハビリ病院でも、面会は禁止。
だが、せめてスマホの写真で様子を確かめたくて、3日に1回、
自転車にリハビリパンツや衣類をつんで片道35分の道のりをガシガシこいだ。
3か月後、残念ながら、母は車いすで我が家へ戻ってきた。
一時はおそるおそるながらも立って数歩あるけるようになり、
わぁ、クララが立った!おかあさんが立った!と喜んだこともあったんだけれど・・・。
入院が規則で決められているマックス3か月までのびたのは、
家をバリアーフリーにする工事が遅れたせいだった。
コロナ過に加え、ロシアのウクライナ侵攻でリフォームの資材と人手が滞っていたのだった。
世界情勢がほんとに日常生活にまで影響を及ぼすんだと、この年になって初めて実感した。
帰ってきてからのことは、もう怒涛のよう。
ひとには言えない、いいたくもない介護の現実に、わたしの体重はあっという間に3キロ落ちた。
ま、これはいいことか。
車いすで思うようにならない母は、とても陽気な人だったのに、
なにかにつけイヤだ~~っと叫んだり、わけのわからない奇声を発したりした。
が、ある夜、ベッドに寝かせようとして失敗したときは、違った。
抱きあげようとしたとき、母が急に足元からくずおれ、
二人でずるずるとしりもちをついてしまったそのとき。
母は悲鳴をあげることなく、ただ恐怖の瞳でこちらをみすえていた。
わたしの二の腕をつかんだまま。ひたすらじっと。
強度の不安におちいると、こどもは泣きださない。こどもながらに、
じっと耐えるのだと聞いたことがある。
ああ、おんなじだ。
おかあさんは、こどもなのだ!
ごめんね、痛かった?
母をだきおこし、ベッドに乗せるのに、それからどれほどかかったんだったろう。
10分や20分じゃきかなかったかも。
無事、横になった母はタオルケットをかけてあげると、やっと小さく息を吐きだした。
びっくりした?怖かった?おどろいたよねぇ、ごめんね、でも、おかあさんもがんばったね。
わたしがふにゃっと笑いかけると、母もふにゃらっと笑ったように見えた。
もう、いやんなっちゃう!!!どうにかしてよ!!消えてくれていいんですけど!!
正直、それまではそんなふうに叫んでいた。
もちろん、叫ぶのは母がデイサービスに出かけたあとだったけど。
洗濯機をまわしながら食器を洗いながら、わたしは日々一人で叫んでた。
母顔負けの悲鳴も発した。あ“~~~~っ!!!!ぎゃぁ~~~っ!
王様の耳はロバの耳!
毎日毎日大きなため息をついた。
でも、そうやって吐き出すと、少し呼吸が楽になるのだった。
で、自分で自分を笑ったりもした。
いやぁ、これって絶対ご近所にきこえたりしてるよな?お母さんより、
私のほうがよっぽどおかしいと思われてるかも・・・とかとか。
が、おかあさんだってがんばってるんだと悟ったあのしりもちの一夜以来。
モノをこぼしたりいろいろ失敗したり汚したり、
情けなくて情けなくて泣きたいようなことの連続でも、腹が立つことは激減した。
と同時に母の身体を起こすコツやスプーンを口に運ぶタイミングとかもつかめてきて
、時々昔のような明るい表情がみられるようになってきた。
これならずっとうちで面倒がみられるとほっとし始めた矢先、
ディサービスでコロナのクラスターが発生。
すぐに休ませたが、母は7人目の罹患者になった。
この時も、救急車は20分ほどで駆けつけてきてくれ、ものの数十分で入院先が見つかり、
隊員からラッキーでしたねと安堵された。
コロナは助かったが、結局、2か月後、療養型病院というのに転院することになって、
今はまたもや、面会禁止の日々が続いている。
認知症には孤独が最大の敵なのに、日々、一人病室の天井を見上げ、母はどんな思いでいるんだろう。
せめて毎日、会うことができればいいのに。
もうすぐ師走。
元気があっていいと黄色いハイビスカスを喜んでいた母のために、
9月に追加した赤いハイビスカスが、まだ新しいつぼみをつけている。
実際のところ、母が帰ってこれる見込みはほとんどない。
それでも、母のために、チューリップを植える。
明日はビオラも植えようか。
ここへきてまるでむきになったように緑を増やしてるのは、癒しのためだろうか。
いや、もっとそれ以上ダワ、きっと。
葉っぱが落ちてただの棒っきれみたいになったヤマザクラだけど
細っこい枝には小さな赤い芽がいっぱいついている。
沈丁花にももうつぼみがつきだした。春はまだまだ先なのに。
アイビーにはちいさな葉っぱが芽生えてる。小指の爪より小っちゃいのに、
ちゃんと大人の葉っぱと同じ形をしている。なんてかわいいの。
一見、冬枯れの庭にも春の日々が息づいてる。
希望 祈り 命 自然 風 雲 空
いっぱいの緑を深呼吸して、わたしは生き返っているんだな、きっと。
みなさんは、いかがおすごしでしたか?
長いこと会えなかった友達に会ったときみたい。
思いついたこと、勝手にば~~っっとしゃべって、やっと一息つく。
なんかそんな今回でありました。
こんどはもっと楽しい話題でおめにかかれますよう。
Love,peace& Togetherness☆彡
TOKYO2020
2021年8月16日
見えた?
う~~ん、雲があって・・・
2階の部屋でベッドに寝転んでテレビを見ていると、窓のむこう、一軒先のお宅の3階屋上に人影が見えた。それも、5,6名。
ベランダに出てみると、その横のお宅の2階屋上にも、スマホ片手の家族が総出で同じ方向を振り仰いでいる。
あ、そっか。ブルーインパルスだ!
そういえば、もうすぐ五輪マークを描く時刻がアナウンスされるよと、lineが入っていたっけ。
教えてくれたのは、オリンピックに大反対、期間中は東京脱出する友達。
いろいろ腹が立つし、なんだかなぁなことばかりだけど、ブルーインパルスは見たいんだ、とか(へへ)
轟音は響いた。
新国立競技場のある新宿方面からは、もくもく白い雲が湧き出していて、青空がかげりだしている。
「見える~~?」
ベランダと屋上の差は大きく、私の視線はご近所の屋上に阻まれて、新宿方向などのぞめない。
「見えた~~?」
「だめだね~~」
あらま。残念!
あ、けど、頭上に白い帯状の線がもや~~~と崩れてるぞ。それも数本。
機体は雲に隠れて見えなかったけれど、あれは確かにそうだよ!
「色、みえないね」
「だね」
見えなかったが、なんとなく去りがたくて空を眺めていると、やがてきれいな編隊を組んだ鳥が・・・。
ん?!ブルーインパルスだあぁぁぁ!!
任務を終えた一行が入間基地にもどっていくところだった!!
わぁ、お疲れ~!!
そんなふうに始まったわたしの“2020オリンピック!”
わぁ、また金メダルだぁ。すごいね、上野。やったね、阿部兄妹。水谷ぃぃ~~!!
なんて、毎日くるくるテレビでハイライトだのニュースだの見ているうちに、気づいたら、もう札幌マラソンで、北大のポプラ並木が映ってた。
あっという間のオリンピック。
やっぱ、テレビ観戦だけじゃ、実感ないですね。
オリンピックがまた東京に!!
お・も・て・な・しポーズが一気に広まった時、周りでは私と同じ年頃のおっさんたちが、次々自慢したもんだった。
”オレの中学は、バスケットチームの練習場だった“
と下町の早稲田中学出身者がいえば、
“ぼく、鼓笛隊で国立競技場の行進に参加したよ”
なんて、都心のお坊ちゃまが返したりして。
へぇ、本当にオリンピックって身近だったんだね、と、北海道は釧路の小学校で,自習させられてた私は、ずいぶん違うもんだなぁと50年以上前のことなのに嬉々とした顔で語る友人たちを眺めたものだった。
あ、なぜ自習だったかといえば、先生たちは気になる試合をこっそり職員室で見ていたからぁ~~~~~!!(チコちゃん風)
学級委員だった私はたまたま何かの用で一人職員室におもむき、テレビの前にたまっている先生たちの姿を目撃したのだった~~~!!
今なら,問題になるかもしれないけど、当時はね、別になんてことなかった。
先生も人の子ってだけ。
あ~~~っ、先生たちだけ、ずる~~~い!!
の一言でかたがついた。
今回、表敬訪問した選手の金メダルかじったり、しゃちほこの金にかぶりついたり非難号号のどこぞの市長さんは、お気の毒。
昔だったら、ご愛敬、ですんだのにね・・・・。
いい旦那さんでも見つけて‥‥なんてのも、セクハラになってしまうしね、今や。
それって、ちょっとキュークツ、そんなメクジラたてなくても・・・って思う私は、やはり旧石器時代人かな?
仕事先で、新人の男子がお茶をいれてくれたりすると、あららとちょこっと申し訳ない気がしてたのは、いつのことか。
今はもう、おぉけっこうけっこう♡どころか男女関係なく、来客にお茶を出してくれるのは当たり前の後景になったけど。
あ、実はそれもコロナ禍で、様変わりしたんだった。
そもそも来客に誰かがお茶を淹れてだすという行為というか儀式?はなくなったし、そもそも、仕事先のオフィスへ出向くという行為もなくなった!
リモート&ネット、メール、オンラインですべては事たり、不要不急の訪問は一切なし。
っでもね、でもね。
顔を合わせて、直接表情見たり、間とか空気とか、声の調子とかで感じる、伝わるものって、意外と多いんだよ。
ってか、、言葉以外から伝わるもののほうに、本音とか、真実とかがあったりする気もするんだなぁ。
ってか、、したんだなぁ。
その昔、出版社はどこも、出入り自由だった。
受付はあるけれど、訪ねる部署と自分の名前をいえば、そのままスルー。
エレベーターに乗って、目指す編集部の札のさがってるとこへ、「こんちわぁ~」と入っていけばよかった。
山積みの書類、今にも崩れそうなスクラップ、たばこの煙、ごちゃごちゃの机、その一角に島みたいに置かれた応接セット。
近所の喫茶店から運ばれてくる出前のコーヒーやジュース。
ウエイトレスやウエイタ-たちにいたっては、受付
で行先を告げることもなかった気がする。
私の行っていた編集部のとなりには、当時の女子高生に大人気の『セブンティーン』があって、ブレイク直前のお笑いタレントやモデルたちがマネージャーと挨拶にきていたりした。
はやりものの新しさとにぎやかさ、華やかさ、そこにちょっと自堕落な空気と、わずかな真剣さや徹夜明けのけだるさとかがまざりあって、何ともいえないカオスが、そこにはあった。
ちょっと通りかかったからというだけで、編集部を訪ねてた時代から、訪問者は受付で記入しカードを首からぶらさげて・・・って時をへて、一階に応接室がずらり並び、降りてきた担当者とその個室でうちあせ・・・ってスタイルに、いつの間にかなってしまった。
担当者以外の編集者とどうでもいい会話交わしたり、たいして知らない人にちょこっと頭下げたり、ほかの打ち合わせ中の人の話を小耳にはさんだり。
そんななんでもないことが、実はけっこう楽しかったり、その雑誌への愛着を生んだりしてたのかも・・・ってことは、あとで気づいた・・・・。
袖すりあうも他生の縁。
いや、多少の縁。
コロナ禍で、友人や仕事先やボランティアで会っていた様々な人たちと、会わなくなってほぼ2年。
今、同じことを感じてる。
いっけんどうでもいい人たちとのどうでもいい会話。
なんてことのない立ち話。通りすがりの一言二言。挨拶。天気がどうたらこうたら。
そんなささやかなことどもが、実はわたしの暮らしや心模様をあんがい明るくいろどっていてくれてたんだなぁぁ~~と。
そういえば、
”よっ友“
っていうのが、あるんですってね。今の若い子たちの間で。
学校とかですれ違えば“よっ”と軽く挨拶するていどの知り合い。
友達っていうほどじゃない間柄。
テレビじゃさほど肯定的な感じで紹介はしてなかったけど。
いや、そのていどの顔見知りとの、ちょっとした笑顔とか挨拶も、意外とね、降りつもると、くるよ・・・・。
年賀状なんて無駄だ!!
よく論争になるけれど。
何十年も出していない私が言うのはなんだけど。
年賀状って、このどうでもいいすれ違いざまの挨拶やたわいない二言三言と、似てるかも。
いっけん重要じゃない。義理かもしれない単なる惰性もしれない。
でも、ふりつもると、なんだか大切なもんがそこにはあるような・・・。
オリンピック閉会式は、うたたねしてしまって、とびとびにしか見ていない。
でも、終わったのは,確からしい。
一番記憶に残ってる私の2020トウキョウの光景は初日。
ご近所さんたちが屋上からブルーインパルスを一目みようと同じ空を眺めていた姿かも。
新海誠監督のアニメの一シーンみたいで。
青い空。
コロナの影もつかのま脇に置いといて、空の青さになにがしかの喜びとか希望のようなものが見えたような気がした時。
オリンピックは、やはり明るさとか晴れやかさとともにあってくれねば。
友人は、開会式のあと、大役を終えたドローンたちが神宮球場に帰っていく姿に、ちょっとじ~~ンとしたとか。
それぞれのオリンピックがあったろうけれど、はて、あなたの2020TOKYOはいかがでした?
願わくば、それがふりかえったとき、ほこらしく愛おしいものでありますよう。
オリンピックの陰で、ちゃんと打って走って投げてた大谷くんや将棋の藤井くんの活躍にも祝杯をあげつつ
それでは、また
See you!!!!
大手町より祈りをこめて
2021年6月15日
打ったど~~~!!
コロナのワクチン!
ニュースで見たばっかの東京は大手町の合同庁舎で、打ってきました~~っ。
いや、ほんとはいつでもいいやってな投げやり気分だったんですワ。
だって、5月半ばに接種券が届いたその場で、すぐかかりつけ医に電話したのに、あぁ無情、早くても7月の末になりますねぇ・・・と。
ためしに、もう一軒、かつて通っていた小さなクリニックに電話を入れると、こちらも、♪答えは同じ~、あ~と~で~♪
つまんないなぁ♪の、山口さんちのツトムくん状態。
穴場狙ったつもりだったんだけどなぁ。
と、まさかの出遅れにめっちゃ落胆。
2か月先の予約をとる気力も失せ、ぼぉっとしてたら、降ってわいたような大規模センターでの集団接種ニュースが。
あらまぁ。
こりゃ、トライしてみにゃ!
ちょうど、先行した八王子だかどっかの自治体で、ネット申し込みにアクセスが殺到、サーバーがダウンして大騒ぎにみたいな報道があったばかりで、なんと東京の申し込み開始は“だいたい11時ころ”とのこと。
はぁ???
コンサートでも春風亭昇太の落語でも!ともかく人気のチケットをとるためには、まずはサイトを開いておいて、電波時計とにらめっこ、開始時刻ジャストまたは気持ちフライング気味に打ち込み!!というのが、常識でしょ?!
あ、ちなみにGoToEatでも、この方式で頑張ったんだったわ(2時間以上かかったけど・・・)
な・な・な・なのに、11時“ごろ”ってさ。
いや、ある意味、すごいアイディアではある。
出鼻くじきシステムとでも申しましょうかさ。
これまで先手必勝ってか、先制攻撃あるのみだった、反射神経いいもん勝ちみたいな法則が、揺らいだのは確か。
で、予約開始初日。
朝9時ころ、試しにサイトを開いてみると、「まだ予約はできません」の文字がでかでかと。
当然ですね。
そろそろ11時になりかかるかなというころ、開いてみても、同じダメマーク。
じゃ~~~ん、11時になりました!
が、まだ、「できません」
ほぉお、やるなぁ、おぬし。
そして、5分、10分。「できません」
あらぁん、根性あるのはわかったけど、いったいいつ始めるわけ??
と、ここではたと気がついた!!
私が見ていたのは、申込サイトではなく、申込サイトへ誘うための一個前のページであったこと!!
ひゃぁ~~~~~ん、あわてて次のページにいったら、もうとっくに予約は開始していて、混んでるからしばらく待て!との指示が!!!!
うっそぉぉ~~~~!!
そもそも、なんで気づいたかというと、私はこれまた定番のダブル方式、つまりパソコンの横にスマホを置き、両方で同時にアクセスしていたんですね。
で、なぜかスマホのほうは少しして勝手に(?)申し込み画面が開いて、むむむ?!!
なんじゃ、こりゃ?!とパソコンのほうをクリックしたら、なんだよ、こっちもとっく予約開始してたんじゃ~~~ん!
誰だよ~~っ、まだ予約出来ませんって、表示してたのぉ!!!
バカ正直にトップページだけ見てて、またしても出遅れたじゃぁ~~~ん。
半ば動揺しながらも、とりあえずは、スマホで自分の予約を取り、遅れること10数分後、パソコンで母の予約を無事完了。
ひゃぁ~~っ、ほっとしたなんてもんじゃありませんでしたわい。チャンチャン。
でも、その10数分の違いで、同じ日の接種予約は出来なかったのだから、いやはや、その集中ぶり推して知るべし。
ややあって、そうだ、80才でスマホも持っていない完全IT難民のおばの分も申し込んであげようと電話をいれ、接種券のナンバーだの区の番号だの聞いて、アクセスしたら、が~~~ん、はや満杯!!
それだけ、みんな早く打ちたいってことだよね、と納得しながら、夕方のニュースを見ていたら、んんん?なんだか微妙なニュアンスで、本日の予約フィーバーを伝えていたぞ。
“大阪は予定枠がすべて埋まりました、東京も・・・・・”
何万件のアクセスがあったとは言ったけれど、満員とは言っていなかった。これって・・・・
あわてて、またパソコンに飛びつくと、勝手知ったるサイトにアクセス。
すると、あ~ら、不思議、午前中、確かに満員になったはずだったのに、空きがあるじゃあ~りませんか!
あ、な~るほど!そういうカラクリか・・・。
って、別にからくりってほどじゃないんだけど、要は会場がAからDだかまで分かれているんだった!!
して、私が朝見たのはA会場の予定数がフルにっていう表示だったのだ。
でもねでもね、パッとスクロールした段階では,BだのC会場なんて出てこなかったんだよ。
いや、もしかしたらあったのかもしれないけど、少なくともすぐ気づくようにはできてなかったゾ。
ともあれ、すぐつながって、ものの数分でおばの予約は完了。
はぁ、いっせいのせ~っ!でアクセスするばかりが能でもないんですね。
うん。ひとつ学んだぞ。
さて、で接種当日です。
テレビでは、改札を出たところからともかくスタッフがそこかしこに立っていて、ぜったい迷子にはさせないぞという政府の気迫みたいなもんを感じました、とか言ってたけれど。
私の下りた丸ノ内線の大手町駅には、張り紙一つなし。
ワクチン接種のワの字もないぞ。
して、大手町駅は名前こそ一緒だけれど、いろんな路線が乗り入れててフクザツ怪奇もいいところ。
前日のニュースで仕入れたC2bという出口番号の表示だけを頼りに、人通りのほぼない薄暗い地下通路をえんえん5分10分。
半蔵門線をすぎ、千代田線のコンコースへついたら、はじめて接種会場はこちらの矢印が!!!
で、改札を出たら、そこからはもうおいおい人間の鎖か?ってくらい。ほぼ2メートル間隔くらいで案内スタッフが。確かに、これじゃ迷子になりようないかも。
だったら、丸ノ内線にも少しくらい張り紙しとけよな、まったくこれだからお役人仕事は・・・とぶつくさ言った私ですが、今はもう改善されてるかもね??
会場のビル前には、サッカーの控え選手みたいなカラフルな胴着をはおったスタッフに交じって多くの警察官や自衛官の姿も。
真っ白の半そでに肩章つきの夏服は、きりり清潔感があって、あら、男女とも2割がたは盛れてるかも?!
などとキョロキョロ進んでいくと、前後左右から矢継ぎ早に“接種券はおもちですかぁ??”とか、“予約はなさってますかぁ?”とか声をかけられ、ハイあなたはこちらのゲート、そちらは・・・・とさっさと振り分けられ、ゲートイン。
検温の自動センサーに始まり、はい次、はいお次と、ラインに沿って誘導され、ずらり並んだパイプ椅子に腰をおろす暇もないほど。
赤・青・黄・緑とか最初にわたされたファイルの色に従って、エレベーターへの道もみんなふりわけられていて、スムーズといえばスムーズ。
ただ、たぶん、もっと混んだ場合を想定していると思しき動線は、やたらUターンや迂回が多く、疲れる~~~っ。
ここショートカットしてもいいんじゃない??というようなとこも、いちいち空いた椅子の横歩かされたりして・・・・杖ついたじいさんばあさん連中も多いのに。一考あってよさそう。
とかとか手際をあれこれ観察しているうちに問診、注射、具合の確認と3つのブースを渡り歩き、あっというまに広い経過観察エリアに。
ここに来るまで計10回は手指のアルコール消毒をしたろうか?
カーテンやパーテーションで仕切られた場所をぐるぐるさせられてたんで、急に開けた窓のある部屋に、なんだかちょっと感動したりして。
あぁ、空が見える!
ビルが高い!さすがトウキョウだぁ。
帰りは、指定された時刻になったら順次勝手に退室していい仕組み。
でも、そこは年寄り、出口付近のスタッフに、もうよろしいでしょうかね?とか、なんだかんだ話しかけて、かえって流れを滞らせたりしてたっけ。
ま、かくいう私も、皆さん自衛隊の方?とか余計な事聞いたりして
あ、東京都の方? 厚生省?
いや・・・ただの寄せ集めのアルバイトです。
40代後半と思しきちとかっこいいおっさんが、ちと照れたふうに答える。
ほぉ。なるほどね・・・。
最後にエレベーターで降りるところまで、整然と列に並ばされ、出口で消毒スプレー、シュっとしてビルの外に出るまで、約30分。
さわやかな五月の風が頬をなぜ、ほっと一息、見あげた空の広いこと、青いこと。
コロナに打ち勝った者の余裕とでもいうのか、いや、その解放感たるや。
あ、まだコロナに勝ったわけじゃなかったデスね。正しくは。
けど、もはや、気分としてはかんぺきコロナ勝者!
たった1回ワクチン打っただけだってのにね。
ほんと、不思議。
それだけ不安のなかっで暮らしてたってことですかね。
意識はしてなかったけど。
考えてみたら、地下鉄に乗ったのだって下手したら1年以上ぶりかも!
およそ電車とか公共交通機関に乗って遠出(!)をするなんてこと、なかったもの。
銀座だって乗ってしまえば20分そこそこだけど。ぐっとこらえてたもんなぁ。
あ、それでなのかな?
接種会場がやけに華やいでいたのは?!
そう、みんな別に無駄口たたいたりしてるわけじゃないんですよ?必要最小限の会話しかしていない。
医師やスタッフに質問されたら、ハイとかイイエとか短く答えるだけ。
でも、なんだか空気が沸き立ってる、うきうきした気分がそこかしこに充満してるというか。
ちょっとしたお祭りのようなざわめきが。
あれかな。
もしかしたら、久しぶりに大勢の人が集まって、同じ一つの目標に向かってきびきびすっすと進んでゆくって行為が、なにがしかの昂揚感を生むのかも。
コロナ禍で、日々孤立化を余儀なくされている高齢者たちにとっては、わざわざ大手町へ出かけ、集まる!というだけで、大きなイベントに参加してるような軽いコーフン状態にあったのかも。
そうね、きっと。
私も帰りはわざわざ政府が用意したシャトルバスに乗って東京駅まで出たもの。
普通の都バスと、はとバス。どちらも無料だけど、私迷わず、はとバスに乗ったもん。
都民にとっては近郊の観光でおなじみの黄色い車体=非日常!
高いステップ上がって、50名からの定員びっしり(密です、密!)の車窓からは、皇居のお堀が見えて。
風に揺れる柳の美しいこと。
気象庁のビルと経団連のビルがすぐ真横で、なぁんだ、、わかりにくいと評判だったけど、、いいとこなんじゃん。
江戸の名残みたいな和田倉門かいわい。深い緑の並木道のあいだを走る数分間はつかの間の旅気分!
これが非日常でなくてなんだろう。
東京駅丸の内で下車すると、目の前には元東京中央郵便局のKITTEが。
屋上テラスからは東京駅と新幹線ホームが見おろせる、大好きな場所。
気分が高揚した私は、久しぶりに一人ということもあって
こじゃれたランチでも…と入ったら、一階ピロティは薄暗~く、数軒の店をのぞいてほぼ閉館状態なのだった・・・・・。
あ、そうか、緊急事態宣言中だったんだっけ。
現実にひきもどされ、すごすごとKITTEをあとにした私。けど、有楽町まで一駅の~んびり歩き、おいしいバゲットとペストりーをお土産に帰宅しましたとさ。
以上、ワクチン接種・大手町レポートでした。
って、あ?興味ない?!
東京や神奈川、千葉に住む友人たちの間では、いつ打てるかとか、大手町ってどうなのよ?とか、LINEで関心しきりなんだけど。
北海道の友人は、来週2回目だよと、あっさり。
あ、なんの問題もないのね?
こちらは、さながらワクチン争奪戦立ったので。
今朝も、ご近所さんがすれ違いざま、今から2回目~~~と自転車をかっ飛ばしていった。
70すぎてるけど。
おはようもなしに、いきなり、それだけ。
おぉ、いいねぇ、気をつけて~~!
私も声援よろしく手をふったりして。
今、仲間うちの関心事はもっぱら2回目の副反応。
かかりつけ医から、カロナールを処方されたと、一人が書き込めば、サンフランシスコではバファリンが推奨されてると誰かが答える。
ホームセンターの薬局に行ったら、コロナワクチン解熱剤は売り切れとラベルが貼ってあったとか。
頭痛が出る前に薬をのんだほうがいいとか、よくないとか。
あっちこっちで盛りあがってる。
オリンピックは本当にやるのかしら?
私のパソコンには、ときどき、「外国人おもてなし語学ボランティア」事務局からメールが入る。
2年前、東京都の公式イベントで、街中で困って外国人を見かけたら、積極的に声をかけましょうって講座があって、2日間ほど講習をうけ、認定(?)バッジを渡されたのだった。
あの頃は、こんなことになるなって思ってもみなかった。
講習には元商社マンなんて英語がペラペラの人もいたけれど、片言もおぼつかないようなおばあさんとか、ワーキングマザーとかいろんな人たちが集まっていた。
小さい子がいて働いてて、なおかつボランティアだなんて、日本の若いママさんってホントえらいなぁと感心したんだっけ。
うちの母親も、2年前はまだ数時間なら一人でいられて、私は講習が終るや、いの一番に教室を飛びだして帰ったんだっけ。
いろんなことが変わるね。
7月になれば、またフェイズはいろいろ変わってるんだろうな。
ワクチンが済んだら、ランチしようねっ!と、友達は手ぐすねをひいているけれど。
マラソンは札幌を走るのかな?
観光客は来るのかしら?
観客は入れるんだろうか?
隈研吾は先見の明があったんだろうか?
いろんな色の混ざったスタジアムの観客席は、誰も居なくても、空席が目立たないってか、なんだか人が入ってるように見える。
仕事先であったおじさんは、陸上男子100メートル決勝が見たくって、なんと30万円のチケットを購入。
う~~~ん,だって、日本人が決勝に残るの生で見るなんて、一生に一度あるかないかなんですから・・・と、ニッコニコ顔だったけど。
人工透析をしているから不要不急の外出を控えると、もう2年、音沙汰ないけれど。
まだチケットはキャンセルしてないだろうなぁ。
9秒9台の男子は何人残れるだろう??
東京は昨日梅雨入り。
北海道は梅雨がないって言われてるけど、そうでもないよね?というのが、釧路に住んでいた私の感想。
うっとうしい梅雨、うっとうしいコロナ。うっせぇうっせぇうっせえわ♪
なにもかもすっきり晴れわたる、美しい日がきますよう。祈りをこめて。
おそまきながら
2021年4月14日
はぁい、サボテン枯らしたことある人、この指と~まれ~っ!!
なに、サボテン枯らすやつなんていないだろうって?そもそもサボテンって、枯れるのかって?枯れます!ってか、腐る・・・・・・・・
ハート型のかわいい小さな鉢植えサボテンが妙にしわしわになってきて、ある日、ぐにゅっ。倒れてご臨終・・・・
思えば、あの時、私の最後の恋も死んでしまったんだったっけ・・・・・
あの日から幾星霜。バンダにハイビスカス、ポトスにシクラメン、ポインセチア、胡蝶蘭、ドラセナ、あまたの鉢植えを死なせてきた私。
はるか昔、北海道の友達がわざわざ送ってくれた背の高いラベンダーの鉢植えが、わずか3日で枯れたのは、
さすがに私のせいじゃない!!環境の激変と旅の疲れのせいだぁぁと、なぐさめたけど。
それ以外は、もし、緑の命をつかさどる神さまがいたとしたら、わたし、100パー地獄行きまっしぐらだと予言できるほど。
でも、コロナ禍が、私を変えた。たぶん。 植物を上手に育てる人のことを欧米では”緑の指“をもってるっていうんだそう。
私はまだまだ全然だけど、でも、白の花が清らかなマダガスカルジャスミンは無事この冬を乗り越え
、買ったときから、少なくとも2倍の背丈にまで育ちましたです。
昔は簡単にダメにしてしまったアイビーも、今は窓辺で小さな枝先を伸ばしてるではありませんかっ!!
いやぁ、変わればかわるもんだわ。葉っぱに触って、水が足りないか、日があたりすぎてないか、
いわゆる植物と対話するってことができてきてそうですもん。
電車に乗ることもめっきりなくなり、出歩くのは、せいぜい最寄りのスーパーくらい。かわりばえのしないご近所を母と手をつなぎながら、
うろ覚えの♪カモメ~の水兵さん♪や♪赤い帽子白い帽子なかよしさんっ とかうろ覚えの童謡を、
季節おかまいなしに歌いながら行き来するうちに、かわりばえのしないはずの道で、このところ、ふと目が留まるようになった。
足も。あ、花が咲いてる。
よそ様の塀から山吹の黄色い花がこぼれ、児童館の植え込みには、スイートピーが背を延ばし、近づくと甘い香りが。
鉢植えからのびた若葉の色の、なんとみずみずしいこと。
こないだ、通ったときは、ただのゴワゴワした茶色のコードみたいなもんがフェンスにくくりつけられてると思ったら、
いつのまにか濃い緑の葉っぱをいっぱいつけてて、あっらぁ、もうつぼみまで??
バラです、バラ!まだ4月の初めだというのに。一輪、二輪・・・。
それどころか、横のかべには、モッコウバラの淡い黄色が滝のように咲きこぼれていて。代り映えしないなんていったのだぁれ??
あ、わたしか。すんまそん。
いや、誤りたくなるくらい、見事に、日々、変化してる。自然って、すごいなぁ、ほんと。
我が家のキンモクセイにいたっては、雨が降るごとに、30センチくらいは伸びたんじゃない??と疑うほど。
茶色っぽく硬い葉っぱに代わって伸びる若葉の、柔らかく淡い緑の美しさと言ったら。
あぁ、これだもん、男たちが若い女の子に弱いのもムリないよなぁ、なんてジェンダーに厳しい今のご時世に突っ込まれかねない感慨にも、ふと想いがとんだりして( ´艸`)。
あ、もちろん、かくいうわたしも、薄汚れたおっさんたちより、キラキラした若い男の子のほうが断然お好みであります。
そいういえば、一代でHISなる旅行代理店を業界のトップにまでおしあげた澤田会長ですが。
かつて10数年連続赤字のハウステンボスを再生を引き受けた時、はじめは園内にアウトレットを誘致するつもりだったんですってね。
けど、敷地内のホテルに数か月泊まりこみ、日々現場に通ううち、途中にあるバラ園の緑を楽しみにしている自分にきがついたのだとか.あ、葉っぱの色が濃くなってきたとか、つぼみがふくらんできたな、とか。
仕事人間の彼は、それまで花や緑に自分が癒されるなんて思ったこともなかったんだとか。
眼からうろこ。発想の大転換。どこにでもあるアウトレットを作るくらいなら、いっそ、薔薇園を!!それも世界に誇るバラ園を作ろう!!
そうして、できたバラ園は、今やハウステンボスの代名詞ともなり、このコロナ禍でもなんとか人気をあつめているのだとか。
年年歳歳花相似たり 年年歳歳人おなじからず自然は変わらないけど、人は変わる・・・と、はかなさを説いた慣用句だそうですが、はて。
今やコロナも変異株が主流だし、ハウステンボスをわずか一期で黒字に大転換させたさしもの澤田氏も本業の旅行業は大打撃でふるわない。それでも、全然くじけてなくて、新しい業態を模索してるって。
ひるがえって、わたしは、かわったのか?かわらないのか?草花の名前を少しずつ覚えはじめ、土づくりが肝心なのねなどと園芸家ビギナーをきどっているけれど。
今、わが家のまわりでは、はや藤の花が咲いています。ハナミズキもコデマリも、パンジーも矢車菊も卯の花も。
一斉に咲き誇って、季節が一か月は前倒しの感じ。桜前線も、ゴールデンウイークを待たずして、はや青森まで到達したんですってね。
津軽海峡を越え、北の大地に待ちに待った春がやってくるのも、もうあとちょっと。
喜びを爆発させるように、梅も桜もチューリップも、一斉に咲き誇る美しい日までっもうあと一歩。
あなたの春が、あかるいものでありますように。
小さな花壇のすみに、スズランがひとむら可憐な花をつけ、、道産子気分を味わわせてくれている東の町から
では、また チャオチャオ!
あな哀し、いとおかし
2021年2月9日
2月のあたまの土日、東京では名門私立中のお受験が重なる。
そら、賢い子らばっかなんでしょうが、いうても小学6年生が解く問題なんだから、なんとかなるでしょう。
と、新聞に載った女子御三家の筆頭・桜蔭の問題を一読、いや一見して、ひやぁ~~ん、ななななにこれ?!
第一問目ってふつうサービス問題ってか、足慣らしに比較的簡単な計算問題がくるんだよね?
いや、分数と少数点のいり交じった計算だから、とりあえずは通分してってとこまでは当たってんですよ。13と7だから、共通分母は91。
小数点0,7は91じゃ無理だから、、910分の637で・・・・・・
でもって、移項するとマイナスはプラスで、えっとえっと、分数の割り算は上下の数字をひっくりかえして掛けて・・・・・ってやってるうちにこんがらかって、新聞紙の余白は、わたしの頭の中さながら、数字でぐっちゃぐちゃ。
で、とっくに15分経過。うっそ~~っ。まだ一問もとけてないっつうの。
持ち時間はぜんぶで50分。
本チャンの難問はこれまらだっていうのに、はやばやと戦意喪失。諦めましたわ。はい。
そうして、私がいさぎよく敗北を認めているのに。
翌日、今度は男子の名門開成中学の問題が載っているではあ~りませんか。
なんだ?!これは、私をこばかにしてる?ためしてるの?
いいよ、やったろうやないの。
こちらは、持ち時間60分。
なんといきなり図形問題と、きた。いかんいかん。
私、図形苦手なんです。空間認識能力というやつに難があって?!(方向音痴だし(関係ない?)
知能テストの角砂糖数えるやつなんか、もうまるっきりわかんない。
と、おっ、ざっと見渡したところ、計算問題が途中に一個だけあるじゃないですか。
何々、9998分の1を少数であらわすとき、少数大48位の数、50,9
6位の数を求めなさいだぁ???
あ、これなんか法則性があるやつだ。ほら、順列だか級数だか、なんかそんなん。
試しにちょこっと割ってみたら、0,000100020003・・・・っって続くんだよ!!!
あ、これ絶対あってる!!ってか、方向性はね。
で、たぶん、48桁目だから、4で割って、12が来る日が来るはずなのだが・・・・・・・・・・あぁ、もうあきまへん。
そこから先を論理的に考える気力がもう残ってないので、ギブアップ。
後に残ったのは小さなため息。
はぁ、私って、もはや中学にも入れないのね。たはは。
国語ならまだ少しは何とかなるかも?と未練もわいたが、なぜか新聞には算数(数学じゃないんだよ!!こんな難しいのに!)しか載らなかったのだった。
残念っ!(いにしえのギター侍でお願いします)
あ、そういえば,桜蔭も開成も、カレンダー問題が出てた!
今日が月曜だとして100年後の今日の曜日は何でしょう?みたいなやつ。
きっと、みんな塾とかでこういうの例題みっちりやってるんだろうなぁ。
う~~む。
数独とナンプレで乗り切るってわけにはいかないかぁ (笑)
ちなみに、『東大王』のマドンナ鈴木ひかるちゃんは、この桜蔭出身。して、実は私のあこがれの女性なのだったぁぁぁぁぁぁ。
普通、憧れって年上の人があがるもんだけど、なんせ、もうこの年になっ
てくると年上にも限りがあって・・・・へへ。
キレイで賢くて勝ち気で、ピアノも弾けて絵画にも詳しくて、クールに見えて意外とすぐ頬が赤くなったり、感情が顔に出ちゃうあたりもすごく好き。
あぁぁ、私、こういう子にうまれたっかったんだわぁ!!!
って、いい年して何あほなこと思ってんまんねん、と苦笑いもちょっこし。
あぁ、あのころもっと勉強してればとか、ピアノちゃんとやってればと後悔するようなレベルじゃないからなぁ。
う~~む。
残念っ!ってか、残念ですらないんですけどね、ほんとは。
もし宝くじで100億円当たったら・・・・とか、3つのお願いなんでもかなうとしたどうする??くらいの話じゃないっすか?
おもえば、10年くらい前までは都立高校の入試問題にチャレンジしてた気がする。
さらにその前には大学の共通一次試験とか。
どれも見事な返り討ちにあって、問題を眺めることもなくスルーするようになって幾星霜。
一方、友人の子どもの小学生お受験で、イラストを見てどれがなかまはずれでしょうか?なんてのに、答えるってやつも、意外やむずかしくて、利発そうな幼稚園児を眺めて、はぁ~~~っと感心しきりだったこともあったんでした、そういえば。
私の男友達は園児のころ、あまりに落ち着きがなく、専門家のところへ連れていかれたそうだ。
そこで、”このコップのなかに水をいれてごらんなさい“といわれ、しげしげとながめたあげく、ガラスコップをガチャン、割ってみたんだそう。しえ~~~っ。
即、問題ありと判定されてしまったのだが、彼曰く、
だって、目の前の偉そうな大人たちが、そんな簡単なことをわざわざ聞くはずがない、なにかウラ、いや仕掛けがあるはずだと、確かめようとしたのだそう。
はぁ~。
もちろん、彼は即、問題大ありと診断され・・・・・普通の小学校には入れなかったものの、のちに、数学オリンピックの日本団長も務めるような大学教授になりましたとさ。
つまり、一種の天才だったんですね。
はぁ~、子供でも深く考える子っているんですね~・
そういえば、女友達の中には、幼稚園が嫌いで嫌いで、なんでもかんでも列作って団体行動する園児をケッと見おろして“屋上で煙草を吸ってた”って子がいます。
タバコはもちろんウソだけど、気分としてはまさにそうだったって。
「小さいころからまわりになじめなくて、はぐれた気分でいる子もいるんだよ、ノンちゃんにはわからないだろうけど」
おしゃれと評判のキュートな少女漫画家の横顔に、ふと口をひきむすんだ幼い園児の顔が重なった瞬間でしたっけ。
最近、私のスマホには、森山良子の“あれこれそれどれ?”とおのれのもの忘れを活写した“面白うてやがてちと悲しき”歌の動画と、保育園に通い始めた友人の孫の動画が、並んでます。
こちらの園児は大学教授や少女漫画家のようなフクザツなものはないようで。
友人によれば、まだ2歳になったばかりだけど、もう全然赤ちゃんじゃなくて、幼児も飛びこえ、すっかりおねえさんだそう。
子どもははやいね、という友人のメールに、なぜかこちらの心もほっこり。
顔をくしゃくしゃにしてお歌を歌ったり、女の子ってなんておしゃまさんでかわいいのでしょう。
あ、男の子もね(じぇんだーふりーじぇんだーふりー)。
世界はまだ未曽有のパンデミックのなかにあるけれど、ワクチンやらなにやら希望の光も見え始めてはきてます。
大雪に見舞われたアメリカ、ワシントンの動物園じゃ、パンダが雪の坂を腹ばいになってくりかえし滑りおりたり、かわいいのなんの。
子どもたちや動物たちの何げないしぐさや笑顔に、どれほどこわばった心がほどけていくことか。
本当に“春はもうすぐそこ”にきてるかも。
麦わらの秋
2020年9月2日
♪麦わらの~ と、あいみょんのマリーゴールドを歌ってるはずが、
いつのまにか、キロロの♪ほ~ら、足元を~になっている2020の夏です。
なんていってるまに、気がつけば、8月も最終日。
自粛自粛って家のなかにいる間に、
春も夏も過ぎていこうとしてる、ウッソ~~~、何もしてないよぉ~っ。聞いてないよぉ~~~。
“人が気づく頃には、いつも春のほうが先に来ている”
あぁ、なんて素敵なフレーズ!!
カレル・チャペックの“園芸家12ヶ月”は無人島にもって行く本3冊に入るほど好きだけれど。
今季ばかりは、なんだかザンネンな気持ちで、この一節を受けとめてる私です。
昨日、ほぼ半年ぶりに山手線に乗ったら、そこそこ乗客がいて、用がすんだ後、
四谷の空いているタイ料理屋に行ったら、ものの5分もしないうちにお客が増えだして、
あっという間に密になってしまった!!
しかも、すぐ横に座った3人組が、昼からシンハビール片手に大盛り上がり。
どうみても20代じゃないぞう。
あのさぁ、つば飛ぶんですけど、身体こっちむけないでよ!!
こっちは年寄りと一緒なんだぞぉ。少しは気をつかえよ~~~っっっ!!
と、一瞬、軽い殺意をおぼえたほど・・・・!
その後、飯田橋の川沿いのオープンカフェで、これまた半年ぶりのお茶をしたら、
テラスの奥の席に10人ほどのグループがいて、こちらはハイネケンのビンビールを片手にみんな大爆笑でパーリィピーポー状態。
こちらも、3,40代っぽかったぞう。
これだもん、感染収まらないのも無理ないか。
やれカラオケでだの、接待をともなう夜の店うんぬんと、クラスターのニュースが伝えられるたびに、
未だにそういう人たちがいるんだぁ?と不思議だったけど。
なるほどねぇ、いましたわ。まさに、今ここに。
ま、用があるとはいえ、35度越えの酷暑の中、90の親と出歩いてる私も私ですが・・・・。
ま、みんな、それぞれ事情があるってことですかね。落ちつけ~落ちつけ~、私。
深呼吸してはみても、笛吹けど踊らず・・・じゃないや、つまり、自分のことながら思うように行かないともうしますか。
ついさっき、遠方の友人に配送依頼した果物が、
依頼主の私の元へ送られてきて、もうなんなのよっ!!と怒り心頭。
腹が立って腹が立って、泣きそうになってしまった。
以前にも同じようなミスがあって、その都度、すみませんねぇと人のいい声で謝られて、
はいはい・・・で終わっていたのだけれど。
もう、これだから田舎もんはっ!!!
毒づいて、自分のなかの差別に、ひやっとしてしまった。すいません。
自分もとんだ田舎者もんのくせしてさ、、、、
カッカしてる私をよそに、母は、“いいじゃないよぉ、それくらい。また送ってもらえばいいじゃないよ”
と笑ったりして。
あのですねぇ!・・・2,3日前にパトカーでご帰還したことすらこれっぽっちも記憶に無いボケ母に、かる~く諌められてるってのもね、なんか、笑えた。
あぁ、これってあれだ。
諸々しんどい時に、足の小指を机のかどにぶつけたとた、痛ぁぁ~~っ!!て、何もかも嫌になって一人泣きだしてしまったときと同じだわ。
別にね、痛くたって死ぬほど痛いわけじゃないんです。
でも、何かがもういっぱいいっぱいで、我慢の限界。
“ワラの一本”
荷物をやまと積んでるロバだかなんかが、麦わらをほんの一本追加した瞬間、倒れてしまう。
海の向こうにはそんなことわざっていうか、言い回しがあるんでしたっけ。
たぶん、私ももろもろいっぱいいっぱいだったんだろうなぁ。
ってか、今もだけど。
そこへほんの些細なトラブルがちょこっとふりかかっただけで、人生最悪!!みたいな気分になってしまう。
たまたま、その時、友人からLINEが。
“あぁ、幸せになりたい”と、私がつぶやくと、白雪姫がハートマークをなんこも投げてくれるスタンプが変送されてきた。
それを見たとたん、なんだか力がぬけて、笑ってしまった。
あぁあ、私ったら、なに泣いたり笑ったり、ばたばたしてるんだか・・・・。
同じ麦藁でも、ロバの一本よか、あいみょんのほうが全然いいよねぇ。
気づけば、セミしぐれに混じって、朝夕は虫のすだく声も。
気温35度超えの酷暑の連続でも、季節は我々が気づくよりも早くちゃんときているんすねぇ。
見上げれば、青空には刷毛で刷いたような雲が。
秋ももうすぐそこ。
新しい日々が少しでも穏やかなものであることを祈って。
なにか楽しいことが、ちょっぴり、ちぢこまった暮らしに色を添えてくれることを祈って。
チャオ!!
ゴーゴー、ヘノカッパ
2020年5月25日
おひさしぶりです。大谷翔平くんをまねてみました‥‥って、前にも確か同じこと言った気がしますが、ほんっっっと、ごぶさたしてました・・・。
皆さん、おかわりありませんか?お元気ですか?
って、元気なわけないですか・・・コロナコ騒ぎで自粛自粛のオンパレードですもんね。
いづこも大変でしょうが、東京はことのほかすごい気が。
なぜかやたらヘリコプターが上空を旋回してるし、パトカーや自転車のおまわりさんが走り回ってるわ。防災無線は四六時中やけにのったりした口調で“ 急な 外出は さけましょう ”と繰り返してて、なんだかSF映画みたい。
ご近所の山ぐるみの大木は若葉をきらめかせて、道路向こうの家のちょっとギザのピラミッドを思わせる屋根のラインを覆いそうなほどで、私の部屋のカーテンは春風にふうわり揺れて。
おだやかで優しい時間が流れているように思えるのに・・・。
なのに、東京は緊急事態宣言下にあって、世界中コロナの猛威が吹き荒れているなんて。本当に不思議。
命を奪いかねないウィルスってやつが、直接、眼に見えないからなのかなぁ。
もし、銃弾が飛びかっているのが見えれば、実感あるなんてもんじゃなくて、だれも外に出ようとはしないだろうに。
見えない敵の恐ろしさは、そんな単純なところにもあるのやも。
とりわけ、どんなニュースを見ても一秒で忘れてしまううちの母なんかは、「ねぇ,何かおいしいもの食べにいきましょうよ」とくりかえし、玄関で「ねぇ、まあだぁ??」とじれている。
いい加減説明するのにも疲れて、結局、私も母を連れ、でかけてしまうんだなぁ。
目白の駅前にちょっとこじゃれた店があって、ちょうど12時についたのだけど、その時点でお客は私たち二人だけ。
「こんな誰もいなくて、やってけんのかしらね?」
何もわからない母でも、声を潜めて案じるほど。
「これじゃ、お店の人のほうが多いね」
確かに。スタッフはキッチン、ホール合わせて4人。
それでも、八分づき玄米に有機野菜の素揚げ生姜ソースなんて健康にもよさそうな食事に満足して店を出るころには、ほかに3人のお客さんが。
みんなそこそこ高齢者?
「毎日こんな?」「はい。なんで、お店はあさってで一時休止です」「あらまぁ」
と、レジでそんな会話を交わしたのが、ゴールデンウイークに入る直前のこと。
連休初日の今日は、お隣りの子供の泣く声がするくらいで、いたって静かであります。
ちなみに、うちの甥っこは研修医で、ただいまなんと呼吸器内科に配属中。コロナ患者がくるので、防護服を着て対応にあたったりもしているのだとか。ひゃぁん。
連絡はとってないけど、ニュースで院内感染や医療崩壊、マスク一週間使いまわし!とか聞くと、不安になります。
弟も、職場のはいるビルの上の階から陽性患者が出たものの、オフィスの閉鎖どころかエレベーターの消毒すらないとか!で、いいのかぁ??、それにしても、コロナは本当にもうすぐそこまで来ているんですね。
自転車で10分ちょいのとこまで、だぁぁぁ。
消毒していないといえば・・・!!
その昔、わたしはしょう紅熱にかかったことがある。
小学校4年かそこら辺のころ。
ものすごい高熱がでて、ふうふうしているわたしの枕もとで、往診に来たお医者さんが母と小声で話してた。
「しょう紅熱だと法定伝染病ってことになるんで、保健所に報告して学校から何からみんな消毒しなきゃいけないんでおおごとになるから、ここはとりあえず疑似しょう紅熱ってことでいいですかね」
え~~~っ!!?
熱にうかされながらも、子供心にいいのかぁ???とぼんやり思ったこと、覚えてます。
「いい時代だよね。ってか、“昭和”って感じだよねぇ。今ならそんなのゆるされないでしょ?」
私がそういうと、母はにやり。
「いいんですよ。臨機応変で。何もばかまじめにそんなことすることないの」
自分の年がいくつか、今が春か夏かさえわからないのに、こういうときだけは妙にしっかり答えるから、認知症っていうのも、不思議なもんですね。
友人たちから、ときどき、元気?コロナは大丈夫??とかメイルやLNEが入るけれど、私の返事は決まってる。
「毎日毎日”お母さんと一緒“!のほうが全然大変だよぉぉぉ」
“お父さんはどこへ行った”?死んだといっても、“いつ帰ってくるの?”と説明してるはしから繰りかえし、私がつい邪険にすると、ここはお母さんの家じゃありません、帰ります!と出ていこうとするっていうのが、なんせルーティンなもんですから。
いやさ、本当はもちろん、生命の危機にかかわるコロナのほうが断然たいへんなんですけれどもがさ。
ところで。
大きなカタストロフィ(災禍)の後には、必ずや変化が現れるんだそうですね。
デカメロンといえば、少年隊と世界史で名前だけ覚えたイタリアの古典だけど。
あれって、中世にペストが猛威をふるい、バタバタと人が死んでいく中で、神は本当にいるのか??と疑問を抱く人が続出、どうせ死ぬなら好きなことをと、聖職者たちがガンガン性交にはしる姿を描いた作品だったんですってね。
私は学生時代、名画座でパゾリーニという問題作ばっか撮ってる監督の映画でみて、ありゃありゃなんんちゅう酒池肉林・エログロの極み~~~っ、あっけにとられてるだけだったけど。
実は、そんな深い背景があったんですね。
そうして、すべてを神が支配する中世から、人間賛歌を高らかにうたうルネッサンスが誕生したんだそう。
あらら、そんなたいしたもんだったとは、すんまそん、デカメロン。
そら、教科書でわざわざとりあげるんだから、ただのエロなはずはないわさね。もちっとお勉強しときゃよかったですね。ハイ。
はて、今回のコロナのあとには、いかなる未来がひろがるのか。
ルネサンスには遠く及ばずとも、なんかちょこっとでも人と人がもっとくつろいで気持ちよく暮らせる日々が来るといいですね。
インドじゃ経済活動が低下したおかげで、町中からヒマラヤがみえるようになったとか。
ヴェネツィアじゃぁ、水上バスやゴンドラが激減したおかげで濁ってた運河が澄んで水底がみえるようになったんですって!!
なあぁんだ、地球を汚してるのはわしら人間様なんじゃん。
いや、わかってはいたけれどもさ。
人影が消えた南米チリの街角では、野生のピューマがひょっこり現れたとか。
アルゼンチンじゃ道路のまんなかにアシカの群れが寝そべり、渋谷じゃネズミの大群が・・・。
エトセトラ etc。珍しく地球と人類の未来に思いを馳せようとしていると、ピンポンピンポ~~~ン
”あんたぁ、なんかおいしいもの食べに行きましょうよ“
と、またもや階下から母の呼ぶ声が。あぁあ。
なにを言っても聞いてやしない。かつ、1秒で忘れる母は、コロナなんぞ ヘノカッパ。
“いいから、早くしてよっ。でかけますよ!お母さん、一人じゃ歩けないんだから、早くぅ”
どこまでも強気。あくまでも上から目線。
“我が家には奥様とお嬢様、ばあやとねえやがいる。
あわせて二人だけど“
そんなふうに笑いあっていた日から幾星霜。
いまや、我が家はゴーイングマイウエイの大奥様とちょいくたびれた姉やの二人ぐらしであります。あぁ、お嬢様はいずこへ。
さぁ、気をとりなおして,少し散歩でもしてくるとしましょうか。
マスクして手袋して、大きく腕をふって。しりとりでもしながら。
次にこのコラムで会える時には、コロナ騒ぎが少しは収まっていますように。
雲一つない青空のもと、小さな庭にわずか数株のスズランが咲きだした我が家より、北の大地へ。
久方ぶりのご挨拶と祈りをこめて。
元気でいましょうネ。では、また!